こんにちは。
アウラの河野です。
今日はクリエイターが必見の映画をご紹介しようと思います。
何故なら、この映画はほぼ全てのクリエティブ業を勤しんでいる人達、
共通の「あるある」を描きながら、タイトルにも記載したように「仕事or作品」という課題に対する一種の答えを出しているからです。
映画は三谷幸喜監督の「ラヂオの時間」
もしかしたら、結構観ている人も多いかもしれません。
観たことがない人は、是非おもしろいので観てください。
観たことがある人は、こういう見方もあるのか、と思って読み進めてください。
普通の主婦が応募した脚本作品がラジオドラマに採用されることから物語のスタート。
ドラマは生放送で、熱海を舞台にした主婦と漁師のラブストーリ。
リハーサルも終わり、放送開始前。
主演女優のワガママから脚本が次々に変えられていく。
舞台も熱海からアメリカになり、登場人物も弁護士とパイロットに。
脚本が所々変えられたことにより物語の辻褄が段々合わなくなったり、
SEが無い、パイロットを登場させてしまったがスポンサーに航空会社がいる。
このドラマは無事に終わりが迎えられるのか?!
そんなドタバタコメディになっています。
映画のクライマックスシーン。
自分の脚本があまりにも変わって行くことに堪忍袋の尾が切れた主婦役の鈴木京香が、
エンドロールに自分の名前を出すのはやめてくれ!とプロデューサーに説得しに行きます。
しかし、プロデューサー役の西村雅彦はそれを一蹴。
「名前は出す。なぜならこれはあなたの作品だからだ」と。
このプロデューサーが、女優や俳優に対してヘコヘコと媚を売ったことが原因で、
脚本がガラッと変わってしまったけど。
それでも、それが作品だと。
仕事には責任があると言い返します。
結構ここはシリアスな良いシーンになっています。
この映画ではプロデューサーが悪役として描かれており、
どちらかと言えば、純粋に作品作りをしているヒト目線の映画です。
このクライマックスシーンはすごいドキッ!とさせられます。
プロデューサーも元々は純粋に制作を志していた人。
立場が変わり、仕事を成立させることが仕事になっています。
だからプロデューサーはどんなに妥協をした作品でも必ず名前は出す。
それが私の仕事だからだと、めちゃくちゃ説得力の高いセリフが続きます。
これは会社・職種・規模感問わずに「あるある」だとは思うのですが、
自分が描いていたルートが変わることなんて日常茶飯事です。
Web制作の現場でも「ここに○○を置いて欲しい」と言われ、
最初のデザインからかけ離れて行くことの方が多いです。
我々は趣味や作品制作のために集まっている集団ではなく、
仕事として向き合っているので、その仕事を成立させなければなりません。
途中で「自分が描いたものと変わったのでやめま〜す!」なんて、やっている人はいないはず。
どんな制作の場においても、
作り手と担い手がおり、成立させるための、それぞれの思いが交わっています。
※映画のネタバレを含みます
ドラマはバタバタとしながら、なんとか無事にラストを終え、ハッピーエンドになります。
そして、会社から主役の唐沢寿明(チーフディレクター役)と西村雅彦が出て来ると、
1台のトラックが猛スピードで近づいてきます。
中から運転手が泣きながらが出てきて「今日のドラマ最高だったよーーー」といい。
映画は終わります。
個人的な解釈ですが、
どんなに不格好になろうが、それを観ている人は必ずいる。
そして、観ている人は、制作の過程などは知らず結果だけを見て判断している。
それが良いか悪いとかではない、と。
結論
クリエイティブは仕事。
しかし、その仕事を成し遂げることで満足の行く作品作りができる。
僕はこの映画を観て、このように感じました。
どんな些細なことも最後までやれば、いつか自分が納得でき満足できる作品が世に出せると。
実はこの映画、三谷幸喜さん自身の実話がベースになっているようです。
ドラマ「振り返れば奴がいる」の脚本が現場で次々に変えられて行き、
もともとコメディだったものが、医療モノのサスペンスになってしまいました。
しかし、ドラマは大ヒット。その時の現場のバタバタ感を映画にしたようです。
このドラマのおかげで、また声が掛かり、
「次は僕の好きなように作らせてくれ」と言い
ずっと構想を温めていた「刑事コロンボ」風の作品として
「古畑任三郎」が放送されたようです。
立場や環境が違えば、仕事を成立させる向き方はそれぞれ違って行きます。
何が良くて、何がダメとかではないと思います。
そんなことなど関係なしに、受け手には結果のみ届いていくのだなあと改めて思いました。
「古畑任三郎」は、俳優の「時任三郎」の漢字の字面がカッコイということで「任三郎」にしたらしいです。
もし気になった方いれば、是非見てみてください!