巨人の星・あしたのジョーに見る、チームで制作するということ その2
『父と子』をテーマにした大河野球漫画という企画でスタートし大ヒット作品となった「巨人の星」。
マガジン編集は、次にボクシングを舞台に『師弟』をテーマにした漫画版純文学作品という企画を用意する。
原作に「巨人の星」の梶原一騎、
作画に当時マガジンの看板作家であった、ちばてつやを起用。
この二人の作品性は大きく異なる。
ハッタリを効かせた引きでダイナミックな作劇の梶原
日常の生活描写やキャラの心情を掘り下げていくアットホームな作風のちば
漫画における原作の扱いの認識においても違いがあった。
後年、セリフを一字一句変えることを許さなかった梶原は当時から初稿のリライトを嫌うことで有名だった。
一方、原作は料理でいう所の素材であると明言しているちば。乱暴な言い方をすれば作品は漫画家の物であると考えていたと思われる。
「巨人の星」連載中の1967年の暮れに連載が開始されるのだが
雑誌をみた梶原は相当つむじをまげたという。
原作が一つも使われていないのだ。しかも連載開始から3回目まで梶原の原作は使われなかった。
原作ではボクシングの会場のシーンから始まる。
丹下団平のあまりの鬼セコンドぶりにボクサーが愛想をつかすという話だった。
ちばは、主人公であるジョーがふらりとドヤ街にやってくるという話を描いた。
ちばの、原作をよりよく見せるための演出だという説明がなされ
梶原もそれに納得したのは、ちばが一流であるという信頼もあったであろう。
「あしたのジョー」において、あくまでもちばは原作は、たたき台であるというポリシーを貫き
構成やセリフを変更したり、下町の人々というオリジナルキャラを生み出すことも常であった。
原作でわからないことがあれば、早朝でも深夜でも梶原に連絡をとり
納得するまでミーティングを重ねた。
ちばは、梶原作品をより深く理解して表現しているのは自分であると後に語っている。
「あしたのジョー」には、主人公の運命のライバルとして作品自体をひっぱていく力のあるライバルキャラがいる。
力石徹だ。
プロになった2人は階級が違うために戦うことはできなかったのだが、
追ってくるジョーの心意気にふれた力石は過酷な減量により階級を落としジョーとの対戦にこぎつける。
この運命の対戦で力石は見事ジョーをKOし勝利するのだが試合途中のアクシデントが元で死んでしまう。
この頃、「あしたのジョー」は大ヒット作品となっており、講談社で力石の葬式が行われるほど社会現象となっていた。
この壮絶な減量という物語は、力石の初登場時に、ちばが力石をジョーよりもひとまわり大きく描いてしまったことに起因する。
六本木のバーで力石を「殺す」のか「殺さない」のかで熱く討論していたため、店の人に警戒された話も伝説になっている。
「あしたのジョー」はその人気の高さからか、こういった伝説が沢山残っているので気になる方はググってくださいw
「あしたのジョー」が「巨人の星」より評価が高い理由とは
「巨人の星」が純度の高い梶原作品であるのに対し
「あしたのジョー」は、ちば・梶原両氏の作品だということに尽きる。
作家としての資質が違う2人の奇跡のケミストリであった言えるが、作品世界の深い共有がなければ成すことのできなかった奇跡である。
2人の天才が生みだした作品ということを差し置いても、チームでモノを創るという成功例でもあり、その姿勢は十分に参考になるのではないかと、当たり障りのないことを書いて了とする。
最後までお付き合いいただいきありがとうございました。